「臓器移植法改正」の編集
生死を決めるのは誰?
『医療と安全管理総集版』 9号で特集を組みました。
まだ印刷所にも渡していませんので、お届けできるのはもう少し先になります。
本誌では、大きなできごとを掲載するときのフォーマットというようなものが自然とできています。
これはどのジャンルの切抜き速報もさほど異なりません。
まず一般報道記事を並べ、どんなものであったかがわかるようにします。
その次に解説記事や、なんらかの参考になるような記事を入れて、そのできごとの本質的な部分を掘り下げていきます。
最後に、社説や意見を並べて、さまざまな視点を得られるようにします。
しかし、今回はかなり思い切った編集にしました。
一般報道的な記事、解説的な記事をほとんど転載しなかったのです。
そして、人々のさまざまな意見を集中的に取り上げました。
語られている結論は反対方向を向いているのに、内容自体は大きくは違わないということも見かけます。
やはり難しい。
15歳未満の臓器提供の可否、脳死は人の死か、それ以前に法律で人の死を定義できるのかなどなど、考えることはいっぱいあります。
そのきっかけ、材料とすることを目的にしたかった。
ある程度興味を抱いている人なら、大まかなことはもともとわかっているだろうと踏んだということもありますが、できごとそのものはそれほど複雑でもないという理由でもあります。
それよりは、より多くの意見・視点を得ながら、自分でも考えていくことが最も重要だろうという意図です。
複雑ではないが、答えの出にくい難しさがあるから、と。
最低限の説明は転載した記事の中でなされているとも思われました。
まずは、衆院通過、そして参院での可決、それらの社説からスタートしました。
その後は、四月以降分くらいから、記事サイズ等の条件でやむを得ない場合以外、なるべく日付順に並べました。
また、記事の形式上、同じ人の意見が複数回出てきますがご了承下さい。
すぐに掲載可能だったものはほぼ漏れなく掲載できたのではないかと思います。
自分の考えがすでにしっかりできている人でも、今回の特集を読むと、微調整は必要かなと感じるのではないでしょうか。
刺激ある内容となったと思います。
さて、ここからは個人的な感想です。
衆院通過、参院可決。
その様子を見ていた時点で、「かなり強引に決めてしまったなあ」というのが第一印象でした。
微妙な問題を、よくもまあ思い切れたものだなあと。
ただ、「この議論は、どれほど話し合っても未来永劫、まず結論は出ないだろう」とも思いました。
死生観は人の数だけあると言えますから。
そのあたりで、「ということは、もしかすると、これは話し合って決めるようなことではなかったのでは?」という考えが頭をもたげてきました。
そう、少なくとも国会のような場で決めることではなかったのかも。
「人の死」の定義なんてものは。
「死」の姿は人によって異なるでしょう。
それはたぶん、あくまでも「個人」の問題なのです。
国によって定められてしまう「死」とは…と思ってしまいます。
今回の議論の最大のテーマはおそらく、15歳未満の臓器提供という部分でしょう。
それならば、まず
- 15歳未満の臓器提供は可か否か
それを決めるべきだったでしょう。
いえ、決めたわけですが。
「それだけ」を決めておけばよかったのだろうと思うのです。
現在の風潮ではおおむねこの答えは「可」のようです。
ですから国会でもそうなったでしょう。
とりあえず、今回はそこまでで良かったのではないでしょうか?
そうしておけば次に決めるのは、どういう条件の中でそれが実行できるか、でしょう。
- どんな人からなら提供を受けられるか(候補の中のひとつが「脳死であること」ですね…実質的にはこれだけかも)
- 臓器提供することを基本にするか否か(拒否の意思が表明されない限り臓器提供するものと考えるか否か)
- 脳死患者からの臓器提供は可か否か(それが「死」であるのかどうかの議論は別の議論である、としておけばよかった)
- 本人の同意が必要か否か(個人的には、本人のみが決められると考えています)
- 本人の同意が不明の場合、提供は受けられないのか否か
- 本人の同意が不明で、かつ提供は可能とするとき、誰の同意が必要か
- 本人の同意が絶対に必要だとした場合、それを明示するためにどのような手段が考えられるか
- 臓器提供希望者をできるだけ増やすためにはどのようなことをすればいいか(結局これが最重要かと)
などなど、細かなところをひとつずつ、段階を踏んで決めていけばよかったのではないでしょうか。
施行までの間に議論しながら決めていくことだって可能でしょう。
あるいは可能領域を少しずつ増やしていく形で進めていくのもいいでしょう。
随時見直していくのもいいでしょう。
個人個人を尊重していけるような形で。
まあ、これだと15歳未満云々の部分以外は従来から大きくは変わっていないのですけどね。
条件の中に「その人が死んでいる」ということが必要だという感覚はわかるのですが、ここはクールに条件付けをするだけでかまわなかったような気がします。
なにも、「人の死」まで定義する必要はなかった。
それは難しすぎる。
国が死を定めてしまうことには、どこか胡散臭さのようなものがあるのですね、きっと。
後に、他の場所でも、何か神経を逆撫でされるようなことが発生しそうな。
だから、死生観以外の部分でも釈然としなかった人が多かったのではないでしょうか。
今からでも、その部分だけは撤回してもいいかもしれません。
ちなみに、個人的には「脳死は人の死」だと考えていますし、15歳未満の臓器提供にも賛成です。
でも、そうじゃない考えの人もいるべきだと思っています。
リンク集
- YOMIURI ONLINE 臓器移植特集
- Wikipedia「臓器の移植に関する法律」
- 日弁連「臓器移植法改正案に対する会長声明」
- 生命倫理会議「臓器移植法改定に関する緊急声明」
- 極東ブログ「ナッジの視点から見た改正臓器移植法」
- 演習授業「脳死は人の死か」(古い記述ですが、なかなか面白い)
とりあえず、リンクはここまでにしておきます。
ひとつずつ読んでいってるのですが、なかなか時間がかかりタイムアップです。
【編集部.M】







