もう一人の鉄腕・野口二郎
もっと知ってもらいたい大投手
先日、古書即売会で野口二郎の自伝を買いました。筆者は昔のプロ野球についての本をよく読むのですが、野口二郎という戦前から戦後にかけて、大活躍した投手でしたので、その話を読みたいと思ってました。この本は野球殿堂入りを記念しての自伝でした。野球の名門・中京商業では選抜でその豪腕ぶりを発揮して、全国に名をとどろかせました。法政大学を中退して、1939年に東京セネタースに入団するや、33勝を上げて、たちまちエースにのし上がりました。なかでも1942年の活躍は特筆に価するものでした。527回1/3を投げぬき、40勝という記録を残しました。このシーズンは大洋に移籍してました。そこで名古屋軍との試合があり、延長28回を一人で投げぬいたのです。相手は長身の若手投手・西沢道夫でした。この人もまた28回を投げきったのです。西沢は後年、中日ドラゴンズの4番して、首位打者、本塁打王などのタイトルを獲得する名打者として名を残しています。鉄腕というと稲尾和久といわれますが、その稲尾にも匹敵するのが野口二郎でした。もし戦後に球界に入っていたら、237勝139敗の記録も、徴兵期間も考慮したら300勝を超える活躍をすると推察します。その他シーズン完封記録19試合もまた、日本記録です。175cm65kgの体は戦前の体格では大きい方だったでしょう。今、名球会といって昭和生まれの投手200勝、打者2000本安打達成者となっていますが、戦前、戦中派のビクトル・スタルヒン、藤本英雄、別所毅彦、杉下茂そして野口二郎も思い出されてしかるべき名プレイヤーです(打者の川上哲治はもちろんのこと)。選手として優れているばかりか、コーチとしての手腕も関わった球団では名投手、大投手を育成しています。大毎では小野正一を、阪急では梶本隆夫、米田哲也、近鉄では鈴木啓示といったエースを育てています。名選手はまた名コーチでもあったわけです。こういったスポーツの話題も「コラム歳時記」で取り上げています。
『コラム歳時記』 2009年9号161頁に記事転載
【編集部.T】







