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2009年10月27日

日本人を意識するとき

日本アイコン 「切腹」を見た外国映画人

1962年小林正樹監督の「切腹」が1963年のカンヌ映画祭に出品されました。それを見たヨーロッパの批評家は驚き、パルムドール賞はおそらくこの作品になるだろうとのマスコミの見方がありました。結果は次点の特別賞という形になりました。落ちぶれた老いた浪人が江戸の井伊家の屋敷に訪ねてきて、屋敷前で切腹させてくれととの願いを当主に頼みます。当主の斎藤勘解由は以前にもたかりのような輩が来たのみならず、とんでもない若侍が来て、切腹したいとの申し出があり、その覚悟をもって仕官を望んだが、そんな甘い話にのらすわけにはいかない、意向をくんで実際に切腹させたが、なんと刀が竹光であった。藩内一、二を争う武勇の使い手が「武士の魂たる刀を竹光にするとは言語道断、その竹光をもって切腹させるのが至当」といって家中の臣下見守る中で切腹させました。そんなこともあり、悪いことは言わぬ、今回は多めに見るから、浪人・津雲半四郎に引き取られいと言いいました。その話を聞いても、半四郎は是非にと、切腹を望みました。斎藤はそこまで言うならと以前の若侍と同じように家臣見守る中、切腹の用意がなされます。半四郎は冥土の土産話として身の上話をしたいとして当主の斎藤に許可を得て、話をしますが…。表面をとりつくろう武士社会をせせら笑う半四郎の言辞に斎藤は痺れをきらし、さっさと腹を切れと迫ります。半四郎は介錯人を選びたいとして、先般の若侍を無理やり切腹に追い込んだ使い手を指名します。斎藤はそんな勝手な要望はできないと拒否するものの、介錯人の選定は切腹する本人の意を汲むのが作法とばかりに主張し、それが通ります。しかし使い手は病気で出仕してないとの報告を受けるや、半四郎は残りの使い手を要望するも、彼らの病の床に伏せているとの連絡が斎藤の耳に入ります。半四郎は彼らのこられない理由を話しだしたのです。その驚くべき話とは…。こういうストーリーテリングの妙は文庫本三分の一にも満たない滝口康彦の「異聞浪人記」短編を、脚本の橋本忍が、観客の興味を引っ張るようにぐいぐいと描く描写は見事の一語に尽きます。その橋下忍の優れた脚本をもとに津雲半四郎役の仲代達矢、斎藤勘解由役の三國錬太郎の丁々発止と火花散る演技を引き出した小林正樹の演出は卓抜したものとなりました。「七人の侍」が動のアクションとすれば、「切腹」は静のアクションとも呼べる秀作といってもいいでしょう。武士社会の虚飾にみちた体裁を重厚な描写で批判した映画となりました。それがカンヌの批評家をまいらせたのでしょう。パルムドール賞はL・ヴィスコンティの「山猫」にさらわれましたが。「切腹」こそ日本人の美意識とか考え方を時代劇という形をかりて、古今変わりない人間の普遍性を謳いあげた傑作なりました。日本を代表する映画監督は黒澤明だけではありません、小林正樹もまたそれに匹敵しうる巨匠なのです。それが理解できたからこそカンヌ映画祭での審査員特別賞が与えられたのでした。このような文化についての文章は「コラム歳時記」に掲載されています。

『コラム歳時記』 2009年10号36頁に記事転載


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