三原脩という名監督
岩本尭が見た三原脩
岩本尭という元巨人の曲者打者がいました、巨人退団後、当時から最も優れたプロ野球の監督として評価されていた三原脩に請われて、大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)のコーチに就任しました。勝負にかける監督の采配は三原は群を抜いていました。岩本の回顧録が地方紙に続行中ですが、それを読むとさすがとうなずかされるものがあります。今日では許されない行為も数十年前から実行していました。例えば、西鉄の監督時代も投手の配球を読むため、外野席から8ミリ映画で捕手のサインや投手のクセなどを撮って、研究し、苦手投手を攻略する材料としました。4番打者の打席のとき、ランナーが1塁で2アウトの場合、、ランナーを走らせ、得点させるようなサインを出しました。2アウトなので、無理して走らせないというセオリーをあえて無視する作戦をとりました。また本拠地・川崎球場はグラウンドが柔らかく、当時鉄壁の三遊間といわれた巨人の長島茂雄、広岡達朗や阪神の三宅秀史、吉田義男にはゴロを打っても難なくさばかれてしまいます。そこで三原はグラウンドを極度に硬くする薬剤を撒き、カチンカチンにしてヒット性のゴロを打って、走者をセーフにするなどの「謀略」を実行しました。名手・広岡をもってしても、そのゴロをさばけなかったのでした。巨人がいち早く、アメリカの海外キャンプから帰国して、大リーグのシステムを披露しても、三原はそんなことはもうとっくに実行しているとコーチ陣を前にあざわらったそうです。三原のホエールズ退団後、近鉄の監督に就任すると、またも岩本を呼び寄せコーチに就任させました。三原にパ・リーグにおける西鉄ライオンズの3連覇を実行させた智将の名は鳴り響いてましたが、セ・リーグの最下位大洋ホエールズを1年目の監督でリーグ優勝さらには日本シリーズ優勝までさせた手腕は歴代プロ野球監督中の最上位に位置する人物といっていいでしょう。岩本尭の回顧録はプロ野球ファンにとっては興趣あふれる読み物となっています。こういったスポーツ分野での人物について「コラム歳時記」に掲載しています。
『コラム歳時記』 2009年10号173頁に記事転載
【編集部.T】







