●浅田宗伯
浅田飴のルーツとなる処方をした人物。
浅田宗伯(あさだそうはく)です。
株式会社 浅田飴の創業者の父が彼の書生だったそうです。
彼が良医とされる挿話があります。
14代将軍家茂(いえもち)が病床に臥していました。医師の手当てもむなしく、危篤の状態です。
幕府は宗伯に診療を命じます。彼は一診して、「近日中に不慮の変あるべし」と診断しました。
そして、その通り4日後の朝家茂は他界しました。
その正確な診断はとても評価されました。
また、江戸城明け渡しについて、一般的には西郷隆盛と勝海舟の活躍がいわれますが、その裏で暗躍したとされるのが宗伯です。
宗伯は14代将軍家茂の妻和宮(かずのみや)と13代将軍家定(いえさだ)の妻天璋院(てんしょういん)の命を受けて江戸城の鎮静を乞うたのでした。
しかし、明治時代になると、政府は次第にそれまでの漢方医学を排除し西洋医学をもって医学としていきます。
医術開業試験も西洋医学によって行なわれました。
宗伯はこうした流れを良しとせず、反対しました。
反対運動をするなか、彼は病床に臥してしまいます。そして歌を残しました。
この花の大和心を失はず
咲き返りても貫かんとぞ思う
生まれ変わっても、漢方医学の存続を願い再興しようとする固い決意を述べ、生涯を閉じました。
その後、漢方医学は敗れ、漢方だけでは医師になることができなくなりました。
でも、現在漢方に注目が集まっています。
彼の思いが伝わったのでしょうか・・・
参考文献:『生きる糧となる 医の名言』 荒井安男 中央公論新社 2006年




