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2007年03月31日

●幼児期のIT教育は必要?

「幼稚園でIT教育」(産経/2・6)という記事を掲載しました。
幼稚園、保育園では、子どもの育ちのためにどのような「遊びの環境」を整えるかが大切なことですが、さらに少子化の時代、保護者に選ばれる園になるために、どう特色を出していくかも考えなければならないことでしょう。
そんななか、「IT教育」はこれからの時代に合ったものであり、特色として訴える力も確かにあるようです。
しかし、幼児期の子どもたちに「IT教育」は本当に必要なのでしょうか?
記者は実際にIT教育を行っている園に取材に行きます。
さらに育児情報誌のアンケートを引用。すでに、園年長児の53.3%がパソコンの使用経験がある結果を出しています。
一方、「過剰な期待禁物」と見出しをつけて、幼児期のIT教育を不安視する識者にも取材をしています。
最終的には、「強制されないかたちなら」との識者の言葉で締めくくります。
確かに、子どもたちの家庭環境のなかにパソコンはもう日常的な道具として置かれているのが現状です。
園の遊び環境の構成のなかに、「家庭の延長線上の環境を」という狙いがあるのであれば、パソコンが園にあることは最早当然のことなのかもしれません。
ただ、「過剰な期待禁物」と記事中にもあるように、「IT教育」を早期に受けることがそのままITに強くなると安易に結びつけないことが大切なようです。
大事なことは子どもの「やりたい気持ち」を引き出し、それができる環境を整えること。
保護者の思惑のみが先行すると、早期教育は結局、意味をなさなくなることでしょう。
保育と幼児教育版.07年.4号.10頁に記事掲載】

2007年03月30日

●表現するということ

生きる喜びを感じるとき。それはどんなときか。
そんなことを考えさせられる報道の数々に出会いました。
それは、絵画や音楽、そしてダンスといった心の内を表現することの喜び。それを身体全身で表す人々の姿を捉えたものでした。
私たちには、「理解してもらいたい」という根源的な欲求が深く根を張ります。
理解してもらうことは、言い換えれば認めてもらうことともいえます。
それは、自身の「存在」が許されることでもあるのでしょう。
私たちは、誰かに許しをもらわなければ生きていく意味が見出せないど、弱い存在なのかもしれません。
しかし、この世界のなかで誰か一人でも認めてくれる他者を見出したとき、人は限りなく強い存在となるのかもしれません。
理解してもらうためには、「表現」することが必要です。
それは、親しき人への愛、あるいは感謝の表現であったり、社会的労働をすることの結果であったり、ときにただ純粋無垢に表現することだけを追及した「芸術」であったりします。
障害福祉編5号の項目「福祉を考える」では、9頁にわたり「芸術」を追求する人々の姿を追った記事を掲載しました。
そこには改めて、「表現すること」の意味・大切さを伝えてくれます。
しかしながら、単にそれだけを知るためにこれらの記事を掲載したわけではありませんし、各記者たちもその姿を捉え、伝えようとしたわけではないでしょう。
その背景にある、彼/彼女らが置かれている現実。
その現実に今一度目を向けて欲しいのです。
障害福祉編.07年.5号.5-13頁に記事掲載】

2007年03月29日

●「くつ」どうしていますか?

保育園にて。
一人の女の子が元気よく傍に駆け込んできました。
そして、「見て!!」と誇らしげに私に足を差し出します。
差し出された足、そのくつには、最近子どもたちの間で大変人気のあるキャラクターが描かれています。
そのことを話すと、とても嬉しそうに微笑みます。
そんな私たちのやりとりを見ていた他の園児たちが、
「僕も、私も」と次々に自慢のくつを見せに来てくれます。
そんな子どもたちを自身の幼き姿に重ねて懐かしくさえ思います。
さて、そんな子どもの小さな自尊心を満たしてくれる「くつ」。ですが。
子どもたち にとってくつは、その健康に対してもとても大切なものです。
「くつ」にまつわる3本の記事を掲載しました。
「幼稚園児 足細く」(毎日/1・16)
「足のサイズに合わせた靴を」 (神戸/12・3)
「子どもには硬い靴を」(琉球新報/2・19)
乳幼児期の子どもの足の骨はほぼ軟骨で、それがしっかりとした骨になるのは七?八歳になってから。乳幼児期の子どもが少々サイズの合わない靴でも履けてしまうのは、このためだそうです。
ただ、足に合わないくつを履き続けると、軟骨から骨になる健全な過程が損なわれ、「偏平足」や「O脚」の原因にもつながるとのこと。
ちょうど良いくつとは、つま先に0.5センチ程度の余裕があって、幅の広いタイプか狭いタイプかなど足の形態にあったもの。
『子どもの足はどうせすぐに大きくなるから』と大きめなくつをついつい履かせてはいませんか?
私が子どもの頃はそうでしたが…(笑)。
アッシクスのホームページからは、子どもの足を測定する専用スケールをダウンロードできます。
http://www.asics.co.jp/kids/
保育と幼児教育.07年4号.52頁に記事掲載】

2007年03月28日

●家庭の安全

05年度 厚労省まとめで、子どもの誤飲事故のトップはたばこで、全体の三割を占めていることがわかりました。事故が起こりやすい時間帯は夕刻以降で、被害は生後六?十一ヶ月の乳児に集中していたそうです。

 

厚労省は「保護者が注意すれば避けられたケースが多い。乳児のいる家庭はたばこや灰皿の置き場には細心の注意を」と呼びかけます。

 

  品目 

割合

(%)

 件数

(件) 

 1 たばこ  30.9  224 
 2 医療品類  13.8 

100 

 3 玩  具  9.5  69
 4 金属製品  7.4 54
 5

プラスチック製品 

5.9  43 
 6 硬  貨 3.7  27
 7 洗剤・洗浄剤  3.6  26 
 8 電  池  3.2  23
食品類  3.2  23 
 10  化粧品 2.6 

19 

 

 

乳幼児のけががをする場所は「家庭内」が一番多いとされています。私たち大人にとってはなんてことない環境が、乳幼児とってはとても危険な環境となりえます。

乳幼児の身になっての安全確認は忘れてはいけませんね。

一番簡単な方法は、乳幼児と同じ目線で家庭内を見渡してみること。危険なものが乳幼児の手の届く範囲にないか。もう一度確認してみて下さい。

 

保育と幼児教育版.07年4号.48頁に記事掲載】

2007年03月27日

●取り戻せ!食の団欒。。

「意外な偏り 高齢者の食」(産経/12・31)、「食が細りがちな高齢者」 (日経/1.7)とう記事を掲載しました。
暴飲・暴食や偏食などで食生活が乱れが心配される今日。
でもその問題は子どもからだいたい中年と呼ばれる年齢の大人までのことと思っていませんでしたか?
しかしながら、記事によると高齢者も以外に食が偏っていたり、食が細くなったりすることで、「低栄養」状態になっていり危険性が高いことが指摘されています。
1.偏食においては、魚中心となり肉類をほとんど食べないことで栄養値が足りない。
2.食が細ることによって十分な栄養を摂取できていない。
3.食欲そのものが低下
など問題点が指摘されています。
*************************************************
【老化を遅らせるための食生活指針の主な項目】
・3食のバランスをとり、欠食を避ける
・動物性たんぱく質を十分にとる
・魚と肉の摂取は1対1程度
・油脂類の摂取が不足しないように
・肉はさまざまな種類を摂取して、偏らないように
・牛乳は毎日200m?以上飲むようにする
・緑黄色野菜、根菜類などを毎日食べる
・食欲がないときはおかずを先に、ごはんをあとに食べる
(出典)日本公衆衛生雑誌
*************************************************
一番問題なのは食欲そのものの低下ではないでしょうか?
こればかりは「健康のため」と思ってもなかなか簡単に向上するものではありません。
食欲の低下の背景には、胃などの消化系の機能低下もあるのかもしれませんが、心の問題も反映します。
私たちだって、一人でご飯を食べるとどこか味気なく、食欲もあまりわかない…なんてことよくありますよね。
お年寄りに、「食」の問題を指摘するときは、単に栄養面からのみアプローチするのではなく、その人の「心=食事する楽しさ」を充実する方向に向けてのアプローチもしっかり考えていかなければなりません。
笑って食事ができる環境。
それは幾つになっても必要なのです。
福祉ニュース高齢福祉編.07年4号.36頁に記事掲載】

2007年03月26日

●虫

「学校動物飼育 教育効果あり」(朝日/1・23)という記事を掲載しました。
「学校で動物を飼育した経験が、電車で高齢者に席を譲るなど子どもの社会性を育む?」
そんな傾向が調査によって明らかにされたとのことです。
去年末は相次ぐ「いじめ自殺」により、再度「命の教育」の大切さが強調されるようになりました。
「命」を知るということは「死」を知ることではないかと考えています。
しかしながら、核家族世帯が大半を占める今日ではなかなか人の死に接する機会はありません。
ただ「今日」とは言いましたが、私が幼きころも同じようなものでした。
身近な「人の死」に接することなんてまずなかったです。
でも、「死」は感じていました。
死んだらもとに戻らないことも知っていました。
それを教えてくれたのは「虫」だったのかなぁ…と思いました。
「虫」はとても身近にいて、それでいてとても異なるもので、ときに奇妙で、ときに華麗で、
子どもにとってはまさに不思議の宝庫でした。
それでいて子どもはどこか残酷で虫を「死」に至らしめ、動かなくなることを不思議に思い…。
何故こんな話をしたかというと昨日たまたま某保育園の園長先生とお話をしていたときに、
今の若い先生は「虫の不思議」に興味を示さないと嘆いていたからです。
その保育士さんにとって虫は「ふーん」ぐらいの存在で、不思議はないそうだそうです(笑)。
結果、子どもたちともに虫の不思議さに共感を示したり、そこから虫を育てたりするという保育
活動の発展に繋がらないということでした…。
いかがでしょう?
「虫」の偉大さを再確認してみませんか!?
保育と幼児教育4号.12頁に記事掲載】

2007年03月25日

●子どもに伝えたいものは?

「クリスマス会は禁句」(産経/12・25)という記事を掲載しました。
京都府内の3幼稚園が、「クリスマス会」を?宗教的?という理由から、
「お楽しみ会」という名称に換えて久しくなるという内容です。
みなさんはこのことについていかがお考えになるでしょうか?
「政教分離?」「時代の流れ?」「保護者がうるさい?」…などなど。
私自身は過剰反応ではないかと思います。
先にも述べたように理由はいろいろ考えられますが、もう一度「クリスマス会」
をする保育の狙いが何だったのかを考えてみれば良いのではないでしょうか?
狙いは「季節の行事」を楽しむだったのではなかったかと思います。
日本において「クリスマス」はキリストの誕生日を祝う宗教的行事ではなくて、
サンタさんというとても素敵なおじいさんが、トナカイの引くそりに乗って。
子ども一人ひとりのためにプレゼントを運んでくれる、とても夢があって、喜び
があって…そんなウキウキする行事・イベントなのではないでしょうか?
そんな夢や喜びを冬という季節を感じながら子どもたちに伝えたい。
それが「クリスマス会」の狙いだったのではなかったでしょうか?
「クリスマス会」を「お楽しみ会」にすることで「冬の季節感」が失われてしまうのでは
と心配してしまいます。
日本人は昔から、宗教に対しては寛容でした。
12月にクリスマスを祝って、1月にはお寺の金を聞いてから、神社にお参り。
「キリスト教」「仏教」「神道」ごちゃまぜです(笑)。
それでも気にしないのは日本には「アニミズム=自然に感謝する」という文化があるからなの
だと思います。どんな「神様」も自然のなかではみんな似たようなものです。
そして日本には豊かな「四季」があります。
そしてそれを楽しむ豊かな感性が日本人にはあります。
宗教を否定したいのではありません。
子どもに伝えたいのは何だったのかという素朴なことです。
保育と幼児教育版.07年.4号.12頁記事掲載】

2007年03月24日

●理論と実践

「切抜き速報」は、「現場への貢献」を理念に、そして専門職の掲げる理念を編集方針の柱に置いた日本最大の「新聞切抜き情報誌」です。

私たちの送り出す情報が「現場への貢献」となることを絶えず願い、日々誌面作りに励んでいます。

 ただ、弊誌を読者の皆様のもとへ送り出すことに加えて、もっと他に私たちにできることがあるのではないか!?

そこで生まれた企画が、今回の「ブログ」を活用した「切抜きの現場から」の試みです。

 ブログの最大の特色である双方向コミュニケーション機能を最大限に生かし、読者の枠を超え、より多くの実践現場で活躍する人たちと交流していきたいと思います。 実践者から得られた知識・情報を誌面づくりに積極的に活用し、また私たちも積極的に情報を発信していきます。そのような交流の先にこそ、新たな「切抜き速報の意義」を見出してくことができると確信しています。

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