« 2007年03月 | メイン | 2007年05月 »

2007年04月30日

●「しょうがい」表記について考えていること。

『「障害者」→「障がい者」 自治体でじわり浸透』(東京/07・4・2)

-「障害者」を「障がい者」と表記する自治体がじわじわと増え、県レベルにも広がりつつある。「害」の字には「公害」「害悪」など負のイメージが強いというのが主な理由だ。障害者に対する意識を変える効果に期待する声がある一方、「言葉狩り」という批判もある。一字をめぐる当事者の思いは。-

 

私個人としては「しょうがい」を「障碍」と表記することにしています。理由は幾つかあります。一つ目はもともと「障害者」という言葉が好ましくないと思っていること。あたかも「障害者」という言葉には、「障害者」という別の人種がいるかのような錯覚を与えること。そしてそれに対となる「健常者」という言葉が伴い、ともすれば「障碍」に関わる問題を二元論で論じる傾向が強くなることがあるからです。

 

続きを読む "「しょうがい」表記について考えていること。"

2007年04月29日

●障害者権利条約を知ろう。


障害者の機会均等と社会参加を促進し、差別を禁じる「障害者権利条約」が昨年末の国連総会で成立したことを皆さんはどれくらいご存知でしょうか?


障害者権利条約はメキシコ大統領の提唱で2002年に議論が始まり、06年12月の第61回国連総会で採択、成立しました。前文と本文50条からなり、平等権、生命権、教育権、労働権、情報や司法へのアクセス、参政権などを定めています。批准国が20カ国に達すると発効されます。仮訳は日本障害者フォーラム・ホームページで閲覧できます。

1975年の「障害者権利宣言」、1981年の「国際障害者年」を契機に私たちの国でも障害者の福祉施策に大きな影響を与えたことはよく知られていることだと思います。それに引き続いて成立した今回の障害者権利条約は今までものと何がどう違うのでしょうか?


『インタビュー 障害者権利条約』(新潟日報/07・4・5)

 

続きを読む "障害者権利条約を知ろう。"

2007年04月28日

●「典子は、今」


大学院生時代、学部生の特別講義で頚椎損傷のため四肢麻痺の障碍を負いながらも教員を目指している方を招いてその体験を語ってらう場に参加する機会を得ることができました。
その方は、自身の教育実習の様子をなにも飾らずありのままに語ってくれました。講演が終わったあと、この特別講義を企画した先生が学部生に拍手を促しました。

後にその先生は拍手を促したことに強い自責の念を持ちました。理由は先生が拍手を促すときに、「頑張っている彼に応援の拍手を」と述べたことにありました。それは、「障碍があるのに頑張っている彼」=「弱者」としての見方を学生たちに与え、それ以前に自分自身が彼を弱者として見ていたのではないかと考えたのです。

ただこの特別講義の意義自体は私はあったと思います。ただそこで知らなければならないこと、学ばなければならいことを明確にすべきだったのだと考えています。ではそれは何だったのでしょう。一つの記事を参考に考えたいと思います。


『いま、「典子」に負けぬように』(西日本新聞/07・3・17)

 

続きを読む "「典子は、今」"

2007年04月27日

●義侠心


大舎施設ではなかなか再現することが難しい家庭的な雰囲気。一人ひとりの生活リズム・生活習慣を尊重するための細かい心配りのあるケア。それらを実現することが出来ると期待され、にわかに普及してきた「グループホーム」。


それを知的障害者分野において先駆けて実践してきた、江尻彰良さんが2月9日に急逝しました。

『江尻彰良さん 2月9日死去 76歳』(毎日/07・4・12)

 

続きを読む "義侠心"

2007年04月26日

●日本の歌百選


『日本の歌百選』(読売/07・1・15)

文化庁が国民から募集した「日本の歌百選」の選考結果を発表しました。


日本の歌100選に選ばれた曲は次の通り。

続きを読む "日本の歌百選"

2007年04月25日

●保育所民営化の前にするべき議論があるのです。

『保育園進む民営化 「歓迎」「懸念」』(日経/07年・3・17) 
保育園を取り巻く大きな問題の一つとして「民営化」が挙げられます。
「官から民へ」という言葉が盛んに使われた一時期がそう遠くない過去にありました。「お役所仕事」「天下りの温床」といった言葉で表されるように、「官」の仕事は旧態然とした権力抗争にまみれたまま、その運営力が鈍化し、多様化する国民の需要に応えきることのできない体質にメスが入りました。そのことは国民の支持を受けていたように思います。
ただ、その流れが「福祉」の世界にも及んだとき、国民は不安を持ったように思います。

続きを読む "保育所民営化の前にするべき議論があるのです。"

2007年04月24日

●待機児童ゼロ作戦のさらなる展開

『認可保育所 定員オーバー5年連続』
全国の認可保育所に入所している児童数は過去最多の約二百十一万八千人(二〇〇五年十月時点)で、入所数が定員よりも多い「定員超過」の状態が十一日、厚生労働省の調べで分かった。(日経/07・2・12)

続きを読む "待機児童ゼロ作戦のさらなる展開"

2007年04月23日

●ノーテレビデー

私たちの日常生活において、今やTVやTVゲームは当たり前にある存在となりました。それは子どもたちにとっても同様です。ただ、大人たちはまだTVやTVゲームの良い面も悪い面もある程度は理解できているはずですし、それらとの付き合い方も心得ています。しかしながら、子どもたちにそれと同様のことを求めるのには、やはり無理があります。だからこそ、大人が上手に環境を整える工夫が求められます。
『ノーテレビデー 75%「継続望む」』(日本海/3・26)
鳥取市内の私立幼稚園PTA連合会と私立幼稚園協会が、約2千家庭に呼びかけて、毎週水曜日にTVを観ない、ゲームをしないことに取り組んだアンケート結果です。

続きを読む "ノーテレビデー"

2007年04月22日

●その一瞬を

「飛びついて来た子ども」
 
 子どもが飛びついて来た。あっという間にもう何処かへ駆けて行っ
 てしまった。その子の親しみを気のついた時には、もう向こうを向
 いている。私は果たしてあの飛びついて来た瞬間の心を、その時
 ぴったりと受けてやったであろうか。それに相当する親しみで応じ
 てやったろうか。

 後でやっと気がついてのこのこ出かけて行って、先刻はといったと
 ころで、活きた時機は逸し去っている。埋めあわせのつもりで、親
 しさを押しつけてゆくと、しつこいといった顔をして逃げていった
 りする。其の時にあらずんば、うるさいに違いない。時は、さっき
 のあの時である。

 いつ飛びついて来るか分からない子どもたちである。

          (フレーベル館『育ての心(上)』倉橋惣三 より)

 

その一瞬を大切にしたいといつも思います。

2007年04月21日

●ある保育園の食育の試み

子どもの育ちにとって「食」の大切さは欠かせません。

しかしながら、最近の子どもたちの食生活を見ていると、間食、孤食などの食生活の乱れや、食の栄養面の偏りがしばしば子どもの育ちに悪影響を与えている感が否めない状況を感じるときがあります。

それは肥満として現れたり、逆に食の細さとして現れたり、極端な偏食として現れます。
そして、その背景にはその保護者自身の「食」に対する意識の低さを垣間見ることができます。

「食」生活がしっかりと適切に確立していない家庭の子どもは、どこか元気がなかったり、情緒が不安定だったりします。

ただ、そんな子どもたちでも、保育園の給食の時間に保育者が楽しい雰囲気をつくり、上手に声がけをすると子どもたちはとても美味しそうに、そしてしっかりとご飯を食べるようになる光景も珍しくはありません。でも保育園の給食だけでは限界があります。

子どもの健全な育ちのためには、まず家庭の食生活の大切さを見直してもらうことが不可欠です。


『園児の食事作り 保護者も参考に』(大分合同/2・3)

別府市鶴見保育所では、保護者を対象とした食事懇談会を開き、母親らが園児食の試食などをして、栄養士との交流をしたそうです。

続きを読む "ある保育園の食育の試み"

2007年04月20日

●ノーバディーズ パーフェクト

「ノーバディーズ パーフェクト(NP=完ぺきなおやなんていない)」

乳幼児の親同士で悩みや体験を分かち合い、自分らしい子育てを学ぶ講座のことで、参加者からは「前向きになれた」「気が楽になった」などの声が相次ぎ好評とのこと。各自治体も、育児不安の解消や虐待予防に向け、講座導入の動きが広がっているそうです。(中国/07・2・5) 

続きを読む "ノーバディーズ パーフェクト"

2007年04月19日

●幸せのバロメータ

みなさん、今日はどんな表情で過ごしたでしょうか? 意外と自分が職場でどんな表情をしているかなんて意識していなのではないでしょうか? 心から笑えた一瞬がありましたか? なぜこんな質問をしたかというと、「笑い」関連の報道が多いなとふと気づいたからです。

続きを読む "幸せのバロメータ"

2007年04月18日

●密接な関係のなかで

若き妻 つれてリハビリ楽しけれ 
夫婦で始めた「リハビリ日記」と書かれたノートの表紙に、脳梗塞の後遺症で療養中の夫(当時77歳)は詠んだ。-(中略)-日記を始めて8ヶ月後の06年7月。妻は前橋市の自宅で夫の首を包帯で絞め、殺害したと逮捕された。自らの死は実行できなかった。殺人罪で問われた公判で、日記は証拠として提出された。(朝日/2・28)
「老老介護」「殺人」
そんな介護が日常の生活に暗い影を落とし、悲しい現実を突きつける一つの出来事。その一つの出来事を切り取った記事を掲載しました。
昨日のブログで介護保険は介護する者、される者の関係性さえも「機械的」にしてしまったと書きました。しかしながら、家族という関係性においては、その言葉を当てはめることは安易過ぎるのかもしれません。
家族に代表される密接な関係性は時に、その関係性を外界から遮断し、密室化した空間のなかでその関係性の在り様をさらに内へ内へと深化させていきます。そして極限まで深化された関係性のなかで内在する問題は、その関係性においてのみ解決するしか術を持たなくなります。

続きを読む "密接な関係のなかで"

2007年04月17日

●介護の社会化について

以前、介護保険の話題に触れたときに、「介護の社会化」という理念自体は間違っていないと述べました。また、ここでいう「社会化」とは「個人の問題を皆の問題として考える」ということでした。
しかしながら、介護保険導入後の現場の声を聞いてみると、「措置の時代のほうが良かった」とこぼす介護職員の方々が大半です。介護保険導入直後は「制度あってサービス無し」の言葉に象徴されるように、制度ありきで内容は後から考えていくという面があったのは事実です。ただ、それのみが先の現場の声を産む背景とは思えませんでした。その背景に何があるのか。そんなことを考えていたときに次の記事に出会いました。
『科学よりも常識 介護身近に戻せ』(東京/3・9)
介護の現場では著名な、生活とリハビリ研究所代表 三好春樹氏へのインタビュー記事です。記事中、三好氏は「介護の社会化」について以下のように述べています。

続きを読む "介護の社会化について"

2007年04月16日

●リハビリ-人が生きるということ-

リハビリテーションは、ラテン語のハビリス(habilis)という「適した、人間にふさわしい」の意味の形容詞が語幹である。つまりリハビリは単なる機能回復訓練ではない。人間の尊厳の回復である。(静岡;大自在/07.3.25)
昨年の4月の診療報酬改定により、病院でのリハビリが一部の疾患を除き、原則として発症から180日に制限されました。これにより、数多くの患者が「リハビリ難民」として行き場を失い、大きな社会問題となりました。
この問題に対して厚労省は異例の見直しに追い込まれることなりました。
『人間らしく生きる権利の回復、すなわちその全人間的復権である』(上田敏)
診療報酬という数字のみで人間を捉え、実生活で生きている人間を見ようとしなかった厚労省のやり方。「介護保険」「障害者自立支援法」にも同じ根が張っているのではないかと疑わずにはおれませんが、いかがでしょう?
高齢福祉編.07年.1号.40頁,コラム歳時記.07年.5号.165頁に関連記事掲載】

2007年04月15日

●介護の現場の人手不足

先週日曜日に行われた地方統一選挙。選挙前の街頭演説のなかで「介護保険料の値下げ」を公約に掲げていたい立候補者の方がおられました。「難しい問題だな」と思わず考え込んでいました。

介護保険料の値下げは、労働収入がなく年金頼りの生活をしている高齢者が圧倒的に多い現状の中、魅力的な提案には違いありません。

ただ、介護保険料は介護サービスの財源としてその5割を占めます(後の5割は国庫負担と都道府県市町村負担)。介護保険料を下げるということは、介護サービスの財源を減らすということに繋がってしまいます。財源が減れば、国はサービス単価を下げて財源の赤字化を回避しようとする姿勢は先の介護保険改正のときに明らかになりました。

サービス単価が下がるとういうことは、介護事業所の収入が減少することにつながります。今度は介護事業所が赤字化を下げるための努力をしなければならなくなります。そして、大抵の場合は人件費を抑えるとう選択肢を選ぶことが多いの現状のようです。

そのしわ寄せは、介護の現場で働く人々の低賃金化というかたちで落ち着いていきます。そして、それは介護の現場で働く人々の労働意欲を低下させ、離職率を高めていきます。

その先にあるのは、介護の担い手がいなくなるという現実です。

もちろん先の立候補者は介護保険料を値下げする代わりに、介護サービスには別の財源をあてるつもりだったのかもしれませんが…。

続きを読む "介護の現場の人手不足"

2007年04月14日

●アタマジラミ 慌てず騒がず

子どもがよく頭をかくと思ったら、冬なのにシラミだった…。(朝日/1・22)


昔と違って、生活環境が整っているし、子どもたちも毎日お風呂に入って、清潔な肌着も着せている。それなのに…。

そんな「まさか」と思うようなことですが、実は「シラミ」自体はそれほど珍しいものではなく、シラミ駆除のシャンプーやパウダーが売り出された1980年代から一端は減少したものの、95年以降再び増えてきているそうです。また、清潔にしていても、アタマジラミは誰にでも寄生するそうです。

 

続きを読む "アタマジラミ 慌てず騒がず"

2007年04月13日

●りんご酢でお肌ケア

以前、「高齢者の低栄養状態」の話題に触れましたが、今回はお肌のケアのお話です。
高齢になるにつれ肌の油分が減り、乾燥肌になりがちです。
乾燥は、かゆみや肌荒れの原因となり、時には引っかき傷から最近の混入を招くとされています。そこで、りんご酢の保湿効果を利用することで、医薬品に頼らず自然で安価なお肌ケアができるそうです。(朝日/2・6)

続きを読む "りんご酢でお肌ケア"

2007年04月12日

●気が付けば債務者-これも自己責任?

過払いや不法な取立てなどで、「弱者いじめ」として一気に風当たりが強くなった消費者金融業界。
ただ銀行、それも大手銀行も似たり寄ったりではないかと冷めた視線を送っています。金融恐慌から金融再編を経て、去年は過去最高額の利益を出していましたが、預金者には雀の涙ほどの金利しかつけず、大手企業には派手に資本投資をする一方で中小企業には貸し渋りをする…等など。腹が立つ例には枚挙のいとまがありません。
さらに、一番腹が立つのが銀行のキャッシュカードにいつの間にか、カードローン機能が付いていたこと。ATMで自分の預金を引き下ろすつもりが誤ってカードローンを選択してしまい、あやうくローンを組みそうになったことには面を食らいました。悪質な消費者金融となんら変わりないのでは…と。
このように、そしてこれ以外でも、市場の仕組みが複雑になり、利便性の向上とともに機能性も増えついていけないと感じる場面が多々でてくるようになりました。私でそうなのですから、高齢者の方々はなおさらのことではないでしょうか?

続きを読む "気が付けば債務者-これも自己責任?"

2007年04月11日

●思考力を育むために


「最近の学生は『思考力』がない。優秀だし、真面目なんだけれど指示がないと動けない。動かない」

そんな話を大学の恩師としました。

「思考力」とは自分で計画を立て、実行し、ときには成功し、ときには失敗し、それがなぜかを検討し、改善していくこと。

自身の目標を達成するための施行錯誤の過程といえます。

ただ、学生のみならず、企業においても「思考力」が低下していると感じる局面は多々あります。

その背景には何があるのでしょうか?

続きを読む "思考力を育むために"

2007年04月10日

●わたしもうなまえがかけるの

私は2年間保育園でフィールドワークをやっていました。 メモ帳とペンだけを持って子どもたちの園活動に参加していました。 心にひっかかったことや、興味深いことが目の前で展開されれば、簡単なメモを書き、後で事例として起こします。 ある日、いつものように子どもたちの活動の邪魔にならないようにと配慮して、園庭の隅でメモを書いていました。

続きを読む "わたしもうなまえがかけるの"

2007年04月09日

●「孤独死」という現実

「「介護の社会化」を謳って施行された介護保険。


「社会化」とはつまり「個人の問題として捉え、個人のみで解決する問題」として終わらせるのではなく、「一人ひとりの問題として、そして皆で力を合わせて解決する問題」として捉えようということのはずです。


たとえ増大する介護料負担を、国民に保険というかたちで負わせること、それによって国庫負担を抑えることが国の狙いであったとしても。(穿った見方でしょうか?)


そうであっても理念は間違っていません。それをどう実践していくかが問われています。


その理念の、その実践の綻びが「孤独死」という問題から垣間見ることができます。

全国紙、地方紙を問わず「孤独死」の問題を取り上げ、その解決を世に訴えます。

 

それまで介護は、家族のみに負わされた問題だったのです。そして村社会が消え、血縁家族も減り、核家族、個人世帯が増えている今、「孤独死」とう問題が浮かび上がってきました。


行政は民生委員やボランティアを活用し、地域の力を生かした対策を講じているとされましが、やはり地域の繋がりが希薄化している今、その実効性は薄く、地域も対応に頭を悩ませます。(宮崎日日/2・7)


厚生労働省によると孤独死の全国的な統計はありません。ただ来年の政府予算案に、孤独死を減らすための相談窓口設置など地方自治体への補助としてはじめて1億5千万余が盛り込まれたそうです。(信濃毎日/2・18)


神戸市は高齢化の進む公営住宅を活用し、高齢者自立支援拠点「あんしんすこやかルーム」を今月から開設します。(神戸/06・12・7)


このように地域福祉の取り組みは進み、メディアは警鐘を鳴らし続け、国も予算をつけ後押しするかたちとなってきています。


あと足りない、足さなければならないもの。


それは結局のところ私たち一人ひとりの関心であり、意思であり、行動なのではないでしょうか?


これまでの日本社会を支えてきた人々の最期が「孤独死」とは余りに悲しすぎる現実です。


高齢福祉編.4号.15-17頁に記事掲載】

2007年04月08日

●高齢者の食の意外な事実

高齢者の食。

若者と違って暴飲暴食をせず、偏食もなく、ファーストフードなども食べない。

質素だけど、バランスの取れた食事をしている。

そんな印象をお持ちではないでしょうか?

「しっかりとご飯食べているの?」

それは、母親から息子へ送られる言葉の定番でなかったではないでしょうか?

しかしながら、全国老人クラブ連合会が全国の会員に実施した最新の食生活調査で「意外な結果」が浮かび上がったようです。 

 食材を使いまわすあまりに偏食になる、健康志向の余りに肉を食べなくなる、食自体が細くなるなどの理由から「低栄養状態」に陥っている高齢者の方が多いとのことでした。

また栄養を取ればいいかとうとそう単純な話ではないようです。

「食事はそれまでも生活習慣そのもの。心の問題も反映する。栄養面だけを考えた食事をだしても食欲がでない人がおおいため、低栄養状態は改善しにくいのではないか」という識者のコメントが紹介されています。

たしかに、私でも一人で食べる食事はどこか味気なく、食に関心が向かなくなります。

反対に大勢で食べる食事は楽しく、いつもより食が進むなんてこともしばしばです。

そのことに年齢は関係ないのでしょう。

そう考えてみると、高齢者の「独居率」が高くなっている今。大勢で和気あいあいと食事ができる機会・場を提供していくことも大切な支援だということが解かります。

「しっかり食べてる?」

と聞く前に、食事をしている状況にまず目を向けていく意識が必要ですね。

高齢福祉編.4号.36頁に記事掲載】 

2007年04月07日

●介護百人一首


『切々と「みそひともじ」』(東京/2・9)


NHK介護百人一首が大変な反響を呼んでいるそうです。

一部紹介してみます。


「三十五キロの母をベットに抱き移すわれの背骨きしきしと泣く」

「今日からは笑顔で介護と決めた日に初めて感謝の声が返りぬ」

「もう一歩む一歩よと介護士の厳しい口調にわれはロボット」

「ごきげんよう声と言葉はなくしてもまだある夢と負けじ魂」


「介護」という現実のなかで、ときに笑いあり、ときに涙ありとそこには心と心が通い合う(なかにはすれ違いもあるようですが…)風景が目に浮かびそうですね。


なぜこんなに大きな反響を得ることができたのか。

番組プロデューサーは、「体験を自分の中で体験が客観視できること」を魅力として挙げています。


そこで、私も一句


「孝行をしようしようと思うのに 思いは届かぬ天国の祖母」

 

高齢福祉編.4号.13頁に記事掲載】

2007年04月06日

●誰かのことを批判したくなったら。

・・・

・・・

 ******************************************************

 「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。

 「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えれたわけではないのだと」

 【グレート・ギャツビー/スコット・フィッツジェラルド著/村上春樹訳/中央公論新社】

*******************************************************

  なかなか難しいです。

  人間だもの。

 

 

 

 

 

2007年04月05日

●お花見シーズン到来

4月に入り、全国各地から桜の開花のニュースが飛び込むようになりました。


みなさんお花見にはもう行かれたでしょうか?
新社会人の方は、さっそくの大仕事ととして花見の場所とり任務を任されたのでは?(笑)


日本人なら誰もが大好きといえそうな「お花見」ですが。広く庶民にその伝統が広がったのは、太閤さんの花見と言われた豊臣秀吉の「醍醐の花見」だそうです。それまでは、「お花見」は中世背貴族などの支配階級の人々のみが『いとおかし』と楽しんでいたのだそうです。またその花も桜ではなく、梅や桃だったそうです。


天下布武をもって日本統一を目指しながら、本能寺の炎のなかに散った織田信長。その後を継いで、日本統一を果たした豊臣秀吉ならではの大規模かつ華麗な花見が庶民の間にも噂になり、これを機会にお花見が広がっていったといいます


その醍醐の桜があるのが、京都の醍醐寺。秀吉は醍醐寺の三宝院の景観をことのほか愛し、春になるとこの地で観桜(かんおう)の宴を開いたそうです。この桜並木はその醍醐の花見のために秀吉が近隣諸国の近江、山城、河内、大和から取り寄せた桜700本を移植したのが始まりだそうです。

 
そんな醍醐寺の桜を観に行きます。

2007年04月04日

●「保育の場」「教育の場」


NHKのドキュメンタリー番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』がお気に入りです。

社会のなかで、組織のなかで、働く一人としていつかは自信を持って『プロフェッショナル』という言葉を自分に与えられるようになりたいと思います。


昨夜の放送は、中学生教師、鹿嶋真弓さんでした。


彼女のプロフィールや放送の概要はホームページで観れますので、興味のあるかたは是非。

さて、昨夜の放送を観て思った感想ですが。


彼女自身の教育の「考え方」は、私自身は何も目新しいことはなく、ごく当たり前のことだと感じました。


私は、2年間、大学院の研究者として、保育の現場にいた経験があります。

保育の場では、「一人ひとり」と「皆一緒」を大切にしていました。

「個」は関係性のなかで、つまり「集団」のなかでたくさんの育ちを見せてくれます。

でも集団をつくるためには、まず個がしっかりと育っていることが重要です。


保育者は、ときには個と個の関係を子どもと結び、導き、支え、愛情をもってその育ちとしっかりと向き合います。

またときには、集団と個の関係を子どもたちと結ぶ、見守りながらも、子どもたちの仲間関係が上手く成立するように「調整者」としての役割も果たします。


そのような保育者の眼差しのなかで、やがて子どもたちは、子ども同士の仲間関係のなかで育ちを見せてくれるようになります。


そんな愛情に満ちた保育の現場が大好きでした。


しかしながら、それを中学生という時期の子どもたちを相手に実践できるかと問われれば、「難しい」と応えざる得ませんでした。「思春期」の子どもの自我と、「幼児期」の子どもの自我は当然ながらその抱える発達課題が違い、さらに「教育の場」と「保育の場」の機能を同じように捉えることも難しいと思います。


でも、本来はどの時期の子どもにおいても、向かい合う大人の姿勢・大切にするものは同じはずだとは考えています。


ただ、実践できるかといえば「難しい」だったのです。


しかしながら、鹿嶋真弓さんは実践としてやっておられたし、なおかつ実践として成り立っていました。単なる理想主義者ではなく、理想を持った現実者として存在していました。


そのことに脱帽しつつも、日本の教育に希望を持つことができました。


そして、保育者の方々には自信を持って実践してくださいと『エール』を送りたいと思ったのです。

2007年04月03日

●地域を再生するために

経済が高度化していくにつれて、次第に地縁というものが希薄になり、核家族が集まった都市型住宅が増えています。
結果、「地域」の成り立ちも崩れてしまいました。
しかしながら、子どもたちの安全を脅かす治安の悪化、虐待の背景に垣間見ることのできる母親の孤立、本来家庭が持っていた教育力の低下などから、もう一度、「地域」を再生させようとする動きが盛んになってきました。
ただ先に述べたように、現在の「都市型住宅社会」のなかで、旧来の「村社会」が持っていたような「地域」を再生させることは容易ではありません。
その要因として、地域を作る「場」がないことがあげられます。
「場」とは人と人の関係を最小単位で築くための機能を持った特定の空間といえば良いでしょうか。
例えば、小さなお子さんを持つお母さんにとっての「近所の公園」等がよい例でしょうか。
しかしながら、『公園デビュー』という言葉が登場したように、そこには人間関係の難しさがあります。最小単位の人間関係を築くことすら難しくなった現状をそこに見て取ることができます。
そんな現状のなか、「地域再生」のためにはどうすれば良いのでしょうか?
単に「場」があるだけでは駄目なようです。
その解決の糸口として、一つの保育園の取り組みが紹介されました。
『盛ん!親同士の交流』(熊本日日新聞.2/8)の報道記事がそれです。
リード文を紹介します。* * *
「熊本市武蔵丘のあゆみ保育園(田中啓志園長、百八人)が、保育園を「地域」に見立てた活動を始めて二十六年。「保育園を親たちの井戸端会議ができる場所にしたい」との思いから、手作り道具をそろえたプレイパークづくりなどに取り組んできた。地域の崩壊が叫ばれるが、ここは親同士の交流も盛んだ。」
* * *
以後の記事には園の取り組み、園の想い、保護者間の暖かな交流が綴られます。
ここから得られる「糸口」とは、「場」は、単に提供するだけでなく、そのなかで保護者同士の人間関係を調整する「役割」を務める仲介者があって始めて機能するのかもしれないとうこと。そしてその役割を、「園」が担っていることに今後の可能性も感じ取ることができます。
平成19年には『幼稚教育指導要領』『保育所保育指針』が改定されることが決まり、そのなかには「子育て支援」の役割を果たす旨が盛り込まれるとのこと。
実際に、「子育て支援」を始めた園も数多く見られます。
今後、地域再生の重要な鍵を握るかもしれない「園」の存在。
その動きを今後も注視していきたと思います。
保育と幼児教育.07年.4号.13頁に記事掲載】

2007年04月02日

●100歳先生

厚生労働省の「長寿番付」(平成17年 百歳以上高齢者について)よると、全国100歳以上の高齢者の総数は、昨年に比べて2,568人増加して25,606人となり、35年連続で最多記録を更新しました(尚、公表の3日後、厚生労働省は一部データを訂正し、高齢者の総数は25,554人)。最高齢は112 歳で3人、2番手の111 歳は6人、いずれも女性だそうです。
若者に元気がないといわれる今日ですが、対照的に高齢者は益々その元気さが輝きます。
そんななか、
『100歳園長先生すきー』(朝日/1・9)の見出しが目に留まりました。
京都市の民間保育園「わかば園」園長、吉岡寿恵さんは、小学校校長を退職後、幼児教育に携わって37年。元日で100歳になったそうです。
記事中写真には、園児たちの笑顔に囲まれた素敵な老婦人の姿があり、印象的です。
「子はかわいがってほしいと思っている。愛情が足りないと反抗したり、はけ口が妙なところにいったりする。どんな子にもある長所を親や教師が見つけてあげることです」
と吉岡さんは話します。
子育てに悩みがちなお母さんたちは多いと思います。
そんなお母さんは、大先輩の言葉に耳を傾けてみてはいかがでしょうか。
難しいことを考えずに、ただ「好きよ」と抱きしめてあげる。それだけです。
保育と幼児教育版.4号.21頁に記事掲載】

2007年04月01日

●自立支援法は何をもたらし、もたらすのか。

障害者自立支援法が施行されて一年がたとうとしています。

地域社会での自立した生活を支えることを目的とした、この法案。

しかしながら、施行直後から、伝えられる報道は、障害者の苦しみ、嘆きの声ばかりでした。それは一年たっても変わることはありませんでした。


いまだに、『自立支援法には負けないぞ』(紀伊民報/1・1)といった見出しが紙面を飾ります。


自立支援法の何がいけなかったのか?


それは言うまでもなく、「応能負担」から「応益負担」への変化、利用者にサービス利用料の一割負担を求めたことにあります。


障害者自立支援法の前の、支援費制度では「措置から契約へ」がスローガンのように連呼され、利用者とサービス提供者は対等な立場で関係を持つことができるようになりました。

利用者は自分たちが本当に必要なサービスを、利用したいサービス提供者から得ることができるようになり、そこには「明るい希望」が確かにあったように思えます。

しかし結果は、サービス利用者の増大による財源圧迫化。国はそれを解消するために、「障害者自立支援法」へ政策を転化させました。国の口上は冒頭にも述べたように、立派なものでした。しかし、それがもたらした現実も冒頭の通りです。


国は利用者に「応益負担」の仕組みを求めるまえに、彼らがそれに耐えうるだけの「所得保障」の術を身につけることができる仕組みを整えるべきだったのです。

しかし、こんなことも国は承知のうえだったようにも思えます。次に見えるのは、「自立支援法」と「介護保険法」の合併、保険料負担年齢をさらに引き下げ、大きな財源を生み出すことかと思われます。

そのための国民理解を得る布石として、現在、障碍を持つ人々を苦しめて、国民の同情、そして協力を得ようとしている。それは、私の勘ぐり過ぎでしょうか?