●子どもたちに真の贅沢を
真の贅沢とはただ一つしかない。それは人間関係の贅沢である。
【 サン・テグジュペリ】
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真の贅沢とはただ一つしかない。それは人間関係の贅沢である。
【 サン・テグジュペリ】
現代は乱世の時代に入っているのではないか。そんなことをふと思わずにはいられません。
古くは、源平の動乱、南北朝の動乱、戦国期、幕末、そして2度に渡る世界大戦と日本の歴史は乱世を経験してきました。その合間に、武家政権の確立、徳川幕府の成立、明治維新そして昭和中・後期という治世がありました。あたかも乱世と治世は世代交代を繰り返す生き物かのようです。
そもそも乱世とはなんでしょう。
乱世とは旧秩序が成熟を超え腐敗したときに、それを浄化する時代だともいえます。そうすることで新しい時代を創造するのです。戦後の日本の歩みを振り返ってみてもわかります。
では治世とはなんでしょう。
当然乱世とは逆に新しい秩序が生まれそれが安定し成熟するまでの時代といえそうです。人々は新しい秩序に添うかたちで、同じ価値観で、同じ方向を見てその歩みを進めます。戦後の日本の人々がただ「豊かさ」を求めていたように。それこそが幸せだと疑わなかったように。
では今はどうでしょうか。
「ナショナリズム」
この言葉を聞くと思わず眉をひそめてしまう方も多いのではないでしょうか。特に日本人にその傾向が強いような気がします。その心理には当然過去の「戦争」の傷が生々しく思い起こされることに起因するのでしょう。
「お国のために…」
そんな言葉のために戦争に駆りだされて、非業の死を遂げた数多くの人々の無念さを忘れてはなりません。同じ悲劇を繰り返さないためにも。
しかしいま、憲法改正論議や教育基本法改正においてにわかに「ナショナリズム」が注目されるようになりました。生まれ育った国・故郷を愛する気持ちを持つことは当たり前のことです。しかしながら、国家がその気持ちを持つことを教育の目標に入れたとき、私たちは強い警戒心そ持つこととなります。
「お国のため・・・」
今求められるナショナリズムとは何なのでしょうか?
『ナショナリズムの虚実』(産経/07・2・10)
『アジアの言語 高校から』(日経/07・1・12)
高校でアジアの言語を学ぶ授業の動きが広がっている。(中略)少子化が進む中で特色を打ち出したい高校側の思惑だが、課題も多く狙い通りにならないケースもある。
「あらゆるものには輝くダイヤが隠されている。
磨けば光る」
【トーマス・エジソン 『エジソンの言葉』 】
『「ネット中傷」相談8000件』(読売/07・3・29)
『「ネットいじめ」深刻」(熊本日日/07・4・4)
携帯電話などを使う掲示板サイトで、子どもたちが同級生などを中傷する「ネットいじめ」が県内の中学や高校で急増している。ストレスで登校できなくなる生徒が出るなど、問題が深刻化しているが、根本的な解決策はなく、学校現場は対応に苦慮している。
『教員98%「性教育重要」 でも58%「実践していない」』(琉球新報/07・1・26) 県教育委員会が実施した「性に関する意思調査」でこのような結果がでたそうです。
ゴルフ界にまた期待の新星が現れましたね。そう。「ハニカミ王子」こと石川遼選手です。
最年少で男子ゴルフツアーに優勝した高校1年生の石川選手は23日に安倍首相を表敬訪問しました。首相は「おめでとう。頑張ったね」「目標は大きければ大きいほどいい」と激励したそうです。
この表敬はゴルフ好きの安倍総理のたっての願いを受けて実現したそうです。石川選手は翌日から行なわれる中間テストよりも重要と話していましたが…。
「来週中間テストなんで会えません」
といって欲しかった…(笑)。
中間テスト前の高校生を自身の都合で呼び出した今回の首相の行為は褒められるものではないと思いませんか?
学校教育法の一部改正によって、今4月から「特別支援教育」がスタートしました。各新聞社がその様子を伝えています。
『障害児の個別指導模索』(朝日/07・3・16)
『全特別支援学校に専門教員配置』(京都/07・2・24)
『発達障害の子に算数を教えよう』(朝日/07・2・25)
「好き」「嫌い」は好み。
「できる」「できない」が仕事の能力。
「プロ」とは自身の感情から一歩距離をおいて、仕事ととして与えられた課題を成し遂げること、そのための能力の研鑽にひたすら励むこと…といえそうです。
ただ仕事のなかには、課題とその達成が「あいまい」な領域に存在するものもあります。「教育」もその典型例です。「教育」の課題とはなんなのか。何をもってそれを達成とするのか。
なかには、教育とは「できないことを、できるようにすること」と明確な定義を自らに律して、そのための指導技術をひたすら磨いていた現役教員もいましたが、彼のような方はむしろ少数だったように思います。
「あいまい」な領域にあるがゆえに、「教師の評価」もまた難しくなります。ほとんどの場合、大学を卒業をした新任の教師も、他のベテランと同じ立場にたって教壇に立つことになります。企業ならばありえないことです。経験の少ない先生だからこその「良さ」、ベテランだからこその「良さ」。それぞに意味があり、子どもたちにとっても価値がある…とあるベテラン教員は言いました。しかしながらその「良さ」が結局のところ「あいまい」です。
近年、子どもの「学力」に右往左往した国の指導者、その結果行なわれた「学力テスト」もまた賛否両論を巻き起こしました。教師として「仕事ができる」こととはどういうことか、今後も考えていかなければならない問題です。
『先生も塾へ』(朝日/07・3・17)
-塾講師のノウハウ教えます-
「山形県はどこにある?」
「四国4県は?」
意外と答えに詰まってしまう方多いのではないでしょうか?
「地理は弱いから…」
そんな弱音も聞こえていきそうですが。
実際のところみなさんはどうなのでしょうか?
『自治体なんでもランキング』(朝日/07・1・22)
場所がどこにあるのかはっきりしない都道府県はどこ。ポータルサイトを運営する「ライブドア」が昨年8月、インターネット調査を実施、3876人が回答した。
何もかも知ろうとして苦労はするな。
さもないと、何ひとつ覚えられない。
【デモクリトス(古代ギリシア、哲学者)】
温暖化の深刻化が私たちの日常生活のなかでも感じ取られるようになってきた今日この頃。
「京都議定書」に代表されるように、国をあげて二酸化炭素排出量を抑制しようという動きが広まっています。国や企業にのみ任せるのではなく、私たち一人ひとりもその意識を高め、実行していくことが大切です。
でも、私たちが日常生活の中で二酸化炭素を意識してみることはできません。そんな声に応えようといま。「環境尺」がにわかに注目を集めているそうです。
『「環境尺」が大反響 HPアクセス10倍』(岩手日報/07・3・ 7)
日常行動での二酸化炭素排出量が測定できる県職員考案の「環境尺」が大きな反響を呼んでいる。全国から問い合わせが相次ぎ、県はホームページ上にも環境尺を掲載。アクセス数は通常の10倍以上となるなど、地球温暖化防止への関心の高さに、うれしい悲鳴をあげる。
「環境尺」
上記のホームページ上には「環境尺」がダウンロードできるのみならず、その使い方も丁寧に説明されています。環境尺はその名の通り、物差し(尺)の形をしており、二酸化炭素排出量の測りたい対象をあらかじめ決められた尺度に合わせると、自動的に二酸化炭素排出量が測定できる仕組みとなっています。
「測る」という行為自体が興味・関心を引きますし、そこを糸口として身近な温暖化対策へ取り組むなど、子どもたちの理科教材としても活用ができそうです。
【科学と環境版.07年.04号.28頁に記事掲載】
古代日本は、中国の文明、文化を取り入れることで、日本という国家を型造ってきました。日本にとって中国は偉大な先進国家であったといえます。今も、中国は私たちの住む日本にとって非常に重要な国であることには間違いありません。
日清戦争、日中戦争という不幸な時代をくぐりぬけ、日本は民主義国家として、中国は社会主義国家としてあらたな国家造りを歩んできました。
社会主義の本質は「平等」ということにあるといえます。私有財産を禁止し、全ての財を国家のものとし、国家は富の再分配機能を担い、富を平等に国民に分け与えることで、貧富の差の無い、幸せな国家を目指そうとするものです。しかしながら、「社会主義」の国家モデルは崩壊を迎えます。ソ連の例があるように。
中国の凄みあるところは、権力機構としての社会主義は残し、経済には競争原理を導入するといった、「社会主義自由市場経済」とう新しい国家モデルを構築したことです。近年の中国の経済発展の高まりは周知の通りです。しかしその影で、「平等」という本来の社会主義の理念であるところが大きく揺れています。
『また一歩「資本主義国」に近づいた中国』(毎日/07・3・22)
「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」
【 アランケイ】
私は基本的に「昆虫」は宇宙外生命体だと思っています。
隕石にのって地球にやってきて、そこから繁殖・反映したのだと。
ダーウィンの進化論をみてみても、単細胞生物から複細胞、無脊椎から有脊椎、そして魚類、両生類、爬虫類、哺乳類きますが、どこに「昆虫」が…。
また何よりも、彼らの独特な身体の構造、にも関わらずあの機敏・頭の良さ、とても地球上生物とは思えません。
『ミツバチ 賢さ予想以上』(日経/07・1・7)
集団で生活し仕事を分担するなど社会性を持つミツバチ。最近の研究では計画的な行動をしたり、抽象的な概念を整理したりと、これまで思われていた以上に賢いことがわかってきた。しかも、脳は人間の十万分の一しかない。こんなミツバチのなぞに迫る研究が続いている。
「時勢に乗ってくるやつにはかなわない」
【司馬遼太郎/最後の将軍】
日本地没ならぬ、日本拡大! 『増えた面積 広島県3位』(中国/07・2・2) どういうこと!?
教育が社会的役割を遂げるための機能としては、大きく保守的機能と進歩的機能の二つに分けることができます。
保守的機能には「社会の維持存続のため」、また私たちが「社会に適応するため」にその社会が持つ規範や道徳を教え伝えていくことと、「文化の存続のため」に人々が作り出した文化をただ所有することだけで終わらせずに、後世に伝える、さらには他の人々に伝えていくといった側面を含みます。
また、近代社会は前時代と違い、常に新しく、さらにはより良いものを創造し、進展していくことをことをその特質とします。そのために教育には進歩的機能があり、それは「社会を更新するための機能」と「文化を創造していくための機能を」含みます。
教育がその社会的役割をより良く果たすためには、まずその自主性(主体性)ができるだけ確保されなければならないとされています。
エレンケイは、「二十世紀は児童の世紀である」として、子どもたち自らの要求や生活を無視されてきたありかたから解放し、「子ども」も一つの人格として尊重せるべき権利を明らかにしました。
こうして、「児童中心」の教育は二十世紀になって力を加え、ことにデューイによる「すべてを子どもから」の理念による教育は、伝統的な教育に革新的な意味を持つようになりました。すなわち、子どもの個性・発達段階を基調とし、その欲求・興味を契機として、心身の全我活動に訴え、生活としての教育を大胆に実践したました。
しかしこの教育理念もまた社会の変化の影響を受けることを避けずにはおれません。
教育版07年6号特集 「学力はなんのために必要なのか」
教育基本法改正を受けての学習指導要領の改訂。
「ゆとり教育」は間違いだったのか?
そもそも何を目指した教育だったのか?
考えなければならないのは「今」です。
【教育版.07年.6号.特集項目】
人格の完成とは、「個人の価値と尊厳との認識に基づき、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り、しかも調和的に発展させることである」としてヒューマニズムを基調としています。ヒューマニズムとは「全体としての個人」の人格を尊重し、その心身の諸能力を内面から自由にかつ調和的に発揮せしめようとすることを正しい人間のあり方とする考え方です。
旧教育基本法第一条では以下のように述べられています。
「教育は人格の完成を目指し、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を 愛し、個人の尊厳を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に満ちた心身ともに健全な国民の形成を期して行なわれなけらばならない」
これは日本国憲法と深く関連したものとなっています。
「平和主義」「合理主義」「民主主義」
これらは、戦前の過ちを繰り返さないための教育を目指すともいえます。
しかしながら、昨年末に教育基本が改正され、現在は学習指導要領の改定議論が行なわれています。その影では、憲法改正のための国民投票法案が成立しています。
今後の日本の行く末は…。
詳しくは、教育版07年4号、特集「教育基本法改正 影響と課題」をご覧下さい。
イギリス人の知人に話しかけられたとき、私は次のように答えました。
「Sorry,I can not speak English」
その知人はこう述べました。
「You speak English now ! 」
確かに私は英語で答えていましたね…。
以後、私はこう答えるようにしています。
「Sorry.My English is very poor.Please speak slowly and simple words.」
日本人は英語に対してすこぶる生真面目なようです。
完璧に話せないと、「英語ができる」とは公言しません。 その点、外国人(主に英語圏の方々)は偉大です。
「コンニチワ。コンニチワ」
それだけを連呼するだけでもう「日本語できる」と鼻高々です。
でも最近思うのですが、それは彼らなりのコミュニケーション術だったのかもしれませんね。
『小学校の英語必修化 保護者の7割賛成』(共同/4・1)
高度情報化社会と呼ばれる今日。子どもたちもメディアを通じてたくさんの情報にさらされています。そもそも「情報」とは「記号的側面」と「意味的側面」を持つものだとされます。今なんらしかの問題を抱えてるいる者、これから起こりうる問題に対しての危機意識を持っている者にとって、メディアを通じて流される出来事は意味ある「情報」としてはじめて認識されます。逆にそうでない者にとって出来事は、単なる「記号」でしかなく無意味なものとして認識されることすらなく流されてしまいます。
同じ出来事を見ていても人によってそれぞれ反応が違うのは、その個人の問題意識の有無、あるいはその視点の違いがあるから故です。
ただ情報は、それのみで問題解決をし得るには不十分であり、あくまでも一材料にしか過ぎません。だからこそ私たちは、過大な情報のなかから価値ある情報を選び、それを材料として思考し、自らの意見(情報)を創造する力が求められます。そして、具体的な問題解決へむけて、自身の意見を発信する。時には自身の意見に基づいて行動することが重要となります。
それが、メディアリテラシーの力と呼べるものでしょう。
高校教科書検定の話題を幾つか掲載しています。そのなかの一つを紹介します。
『漫画多用、新出英単語4割増 学力多様化で対応苦慮』(読売/07・3・31)
教育版6号の特集
「学力はなんのために必要なのか」
去年末に行われた高校生13万人を対象とした学力テストの結果、4月末に行われた小六・中三を対象とした学力テストの狙いと課題から、「今学校教育に求められているものとは何か」について、各有識者の意見・論説を踏まえつつ考えることができるように編集されています。
『プロフ ご存知ですが』(朝日/07・3・8)
ネット上に手軽に自己紹介のページが作れる「プロフ」と呼ばれるサイトが中高生を中心に急速に広がっている。友達作りの道具として人気だが、個人情報の悪用や「出会い系」としての利用といった落とし穴も待ちかまえる。大人の目からは分かりにくい、携帯電話を介したネット利用に、教育関係者は頭を悩ませる。(斉藤徳彦)
学生の頃、専門職であるか否の判断は「倫理綱領」を持っているかどうかで分かると、教えられました。
ならば…教師の倫理綱領はと探してみましたがありません。教師の場合は法律による、とあるのがその理由のようですが。かわりに日教組の「教師の倫理綱領(1952)」を見つけました。この綱領は教師を「労働者」と規定したことによっていろいろと物議をかもしたようです。いつか折をみて、そのあたりも勉強してみたいものです。
以下参考までに、「教師の倫理綱領(1952)」。
附則
二十一世紀における我が国の発展のためには、子どもたちが健全な心と身体を培い、未来や国際社会に向かって羽ばたくことができるようにするとともに、すべての国民が心身の健康を確保し、生涯にわたって生き生きと暮らすことができるようにすることが大切である。
子どもたちが豊かな人間性をはぐくみ、生きる力を身に付けていくためには、何よりも「食」が重要である。今、改めて、食育を、生きる上での基本であって、知育、徳育及び体育の基礎となるべきものと位置付けるとともに、様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、健全な食生活を実践することができる人間を育てる食育を推進することが求められている。もとより、食育はあらゆる世代の国民に必要なものであるが、子どもたちに対する食育は、心身の成長及び人格の形成に大きな影響を及ぼし、生涯にわたって健全な心と身体を培い豊かな人間性をはぐくんでいく基礎となるものである。
一方、社会経済情勢がめまぐるしく変化し、日々忙しい生活を送る中で、人々は、毎日の「食」の大切さを忘れがちである。国民の食生活においては、栄養の偏り、不規則な食事、肥満や生活習慣病の増加、過度の痩身志向などの問題に加え、新たな「食」の安全上の問題や、「食」の海外への依存の問題が生じており、「食」に関する情報が社会に氾濫する中で、人々は、食生活の改善の面からも、「食」の安全の確保の面からも、自ら「食」のあり方を学ぶことが求められている。また、豊かな緑と水に恵まれた自然の下で先人からはぐくまれてきた、地域の多様性と豊かな味覚や文化の香りあふれる日本の「食」が失われる危機にある。
こうした「食」をめぐる環境の変化の中で、国民の「食」に関する考え方を育て、健全な食生活を実現することが求められるとともに、都市と農山漁村の共生・対流を進め、「食」に関する消費者と生産者との信頼関係を構築して、地域社会の活性化、豊かな食文化の継承及び発展、環境と調和のとれた食料の生産及び消費の推進並びに食料自給率の向上に寄与することが期待されている。
国民一人一人が「食」について改めて意識を高め、自然の恩恵や「食」に関わる人々の様々な活動への感謝の念や理解を深めつつ、「食」に関して信頼できる情報に基づく適切な判断を行う能力を身に付けることによって、心身の健康を増進する健全な食生活を実践するために、今こそ、家庭、学校、保育所、地域等を中心に、国民運動として、食育の推進に取り組んでいくことが、我々に課せられている課題である。さらに、食育の推進に関する我が国の取組が、海外との交流等を通じて食育に関して国際的に貢献することにつながることも期待される。
ここに、食育について、基本理念を明らかにしてその方向性を示し、国、地方公共団体及び国民の食育の推進に関する取組を総合的かつ計画的に推進するため、この法律を制定する。
我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである。
我々は、この理想を実現するため、個人の尊厳を重んじ、真理と正義を希求し、公共の精神を尊び、豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。
ここに、我々は、日本国憲法の精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。
「学生の頃、教員免許をとっていればなぁ」
そんなことを思う人も多いのではないでしょうか?最初から教員を志し、教育大学に進んだ人は別として、総合大学では教員免許を取る手間を惜しんでしまった方がそうですね。そんな方が社会人に進み、いろいろ学んだ後に、教育の道に進んでみたいと思うことはなんら不思議なことではないと思います。ただ、「教員免許」を持っていないことがネックとなっていました。そんな方に朗報が…。
『「免許なし教員」採用へ』(産経/07・2・23)
「人の一生はみじかいのだ。
おのれの好まざることを我慢して下手に地を這いずりまわるよりも、
おのれの好むことを磨き、
のばす、
そのことのほうがはるかに大事だ」
【司馬遼太郎/峠】