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2007年05月30日

●治世か乱世か

現代は乱世の時代に入っているのではないか。そんなことをふと思わずにはいられません。
古くは、源平の動乱、南北朝の動乱、戦国期、幕末、そして2度に渡る世界大戦と日本の歴史は乱世を経験してきました。その合間に、武家政権の確立、徳川幕府の成立、明治維新そして昭和中・後期という治世がありました。あたかも乱世と治世は世代交代を繰り返す生き物かのようです。
そもそも乱世とはなんでしょう。
乱世とは旧秩序が成熟を超え腐敗したときに、それを浄化する時代だともいえます。そうすることで新しい時代を創造するのです。戦後の日本の歩みを振り返ってみてもわかります。
では治世とはなんでしょう。
当然乱世とは逆に新しい秩序が生まれそれが安定し成熟するまでの時代といえそうです。人々は新しい秩序に添うかたちで、同じ価値観で、同じ方向を見てその歩みを進めます。戦後の日本の人々がただ「豊かさ」を求めていたように。それこそが幸せだと疑わなかったように。
では今はどうでしょうか。

『格差は社会に何をもたらすのか』(社会版.07年.6号.特集』
日本の格差社会の実態を各新聞メディアがどのように報じ続けたかをまとめて掲載しています。
派遣労働、契約社員や、「ネットカフェ難民」という新しい言葉に象徴される、「ワーキングプアー」=貧困層の存在。増え続ける「生活保護受給者」の数。また年間3万人を超える自殺者の理由上位には「経済的理由」があがります。
景気回復の影には、働いても豊かになれなれない、働く機会すら得られない人々の存在、さらには働く意欲すら持てなくなった人々=ニート、フリーターなど、いわゆる「格差」の問題が色濃く浮かび上がるようになってきました。
メディアは声をそろえ社会的援助の必要性を叫びます。個人の問題としては抱えきれなくなっていると。
これらのことは、既にこれまでの秩序が崩壊しつつある予兆ではないかと思うのです。人々は「経済的豊かさ」=「幸福」ではないことに少し前に気づきました。そのなかで、自分にしかできないこと、自分の存在価値を認めてもらうための試行錯誤、いわゆる「自分探しの旅」が流行した時期がありました。しかしそれはまだ社会が安定した秩序を持ちえていたからではないかと、今振り替えると思います。いまや、ほとんどの大人たちが「負け組み」にならないために必死になるしかありません。「勝ち組」になりためではなく、「負け組み」にならないためというのが切実さをさらに事態を深刻に感じさせます。つまり、一度「負け組み」になるとなかなか這い上がれないことを大人たちは身をもって知っているのです。何も知らぬ若者たちがその犠牲になっていく風景がなんとも切ないです。
「経済格差」は確実に秩序を壊していくことでしょう。その先の新しい秩序が生まれるまで。今しばらくは正念場が続くのかもしれません。
社会版.07年.6号.特集】

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