●特別支援教育
今春から特別支援教育がはじまり、盲・ろう・養護学校や特殊支援学級も特別支援学校、特別支援学級として再スタートを切りました。特別支援教育はそれまでの「特殊」教育の対象であった子ども達に加えて、さらにADHDやLD、自閉症などの発達障碍の子ども達も対象にしていこうとする試みです。特別支援教育の是非はひとまず置いておいて、教育再生会議では次のような提言がなされたようです。
『幼稚園、高校も充実を』(毎日/07・4・29)
『幼と高は不十分』(日経/07・3・19)
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今春から特別支援教育がはじまり、盲・ろう・養護学校や特殊支援学級も特別支援学校、特別支援学級として再スタートを切りました。特別支援教育はそれまでの「特殊」教育の対象であった子ども達に加えて、さらにADHDやLD、自閉症などの発達障碍の子ども達も対象にしていこうとする試みです。特別支援教育の是非はひとまず置いておいて、教育再生会議では次のような提言がなされたようです。
『幼稚園、高校も充実を』(毎日/07・4・29)
『幼と高は不十分』(日経/07・3・19)
社会保険庁による年金記録紛失問題。またしても、公的年金に対する不信感を増す結果となってしましました。老後の安心を支える制度が揺らぐことは、若者にとっても大きな問題です。就労機会の格差。それに伴う貧困層の拡大。若者が未来に希望が持てなくなってしまう今、求められる支援とはどのようなものでしょうか。
『「学び直し」支援』(日経/07・5・7)
人生は一冊の書物に似ている。馬鹿者たちはそれはパラパラとめくっているが、賢い人間はそれを念入りに読む。なぜなら、彼はただ一度しかそれを読むことが出来ないのを知っているから。
【ジョン・パウル】
臨界期とはある種の技能や行動が発達するためにもっとも効果的にこれを準備する時期のことをいいます。子どもが新しい発達段階に移行するには適切な刺激・環境が必要であり,早すぎれば意味がないし,遅すぎると新しい行動様式が成立(学習)しにくくなると考えられています。
コンフリクトとは,複数の排他的な欲求がほぼ同じ強度で同時に存在するために,行動の決定が困難な状態をさします。
○接近-接近コンフリクト
プラスとプラスの誘意性の間にある場合で,例えばクリスマスプレゼントで欲しい物を一つと言われたのに,ゲームのソフトと野球のグローブがどちらも欲しく,どちらか一方に決められない状態。
○回避-回避コンフリクト
マイナスとマイナスの誘意性の間にある場合で,例えば仕事に行くのも嫌だし,行かないで首になるもの嫌といった状態。
○接近-回避コンフリクト
プラスとマイナスの誘意性を同時に持つもの向かう場合で,おかしを食べたいが,食べると虫歯になるといった状態。
いかなる人の知識も、その人の経験を越えるものではない。
【ジョン・ロック】
昨日はいじめに関する調査結果を掲載しました。では、この結果をどのようにとられえれば良いのでしょうか。
『いじめをなくすにはどうする』(読売/07・3・3)
全国の中学校22校約1000人を対象に読売新聞社が実施した調査です。
少年誌で囲碁ブームを巻き起こした「ヒカルの碁」。その勢いはまだまだ健在のようです。
『小学校で囲碁教育』(産経/07・5・1)
『囲碁プロめざす子急増』(朝日/07・5・8)
情熱は、あまりにもしばしば知性を殺してしまう。
反対に、知識人にあっては、知性がときに情熱を殺してしまう。
【バートランド・ラッセル/ラッセル教育論】より
本日の各全国紙の一面のなかには、教育再生関連3法案がきょう成立する見通しであることを伝える記事が掲載されていたものがありました。
私は考える
ゆえに私は存在する
【 デカルト】
景気の好調さが報道されいますが、生活の実感としては感じられない。そこにまた「格差」という言葉見え隠れするのは先入観に囚われているからでしょうか。ただ失業などの諸事情で住む場所を失い、ホームレスとしての生活を余儀なくされている人々がまだまだいる現実は確かです。この問題には「公的」な支援は欠かせません。そのなかでまた一つ考えさせられる問題が報道されています。
『現実に住んでいるのに』(毎日/07・1・23)
『自立と支援 道険し』(中日/07・2・6)
児童文学はその根底において文学そのものの本質を踏まえているといえます。
受験シーズンは冬。
そのことに対して何の疑いももっていませんでしたが、このことに疑いを持つ人たちもいるようです。その人たちの話を読んでみると確かに…と思うことも少なくありません。
『受験 なぜ冬?』(西日本/07・2・21)
池田小の悲惨な事件を皮切りに、同様の事件や通学路においての事故などが続き、地域が子どもたちにとって必ずしも安全なものではないという認識が生まれました。子どもたちを守るためにどうすれば良いのか。教育現場の試行錯誤が続きます。
『広がる安全マップ』(毎日/07・3・26)
生きるとは呼吸することではない。行動することだ。
【ルソー】
瀬戸内の海に浮かぶ「ホボロ島」。 地元ではホボロ島が無くなってしまうのではないかと噂されていました。島の形が縮小しているのです。 その原因を探ろうと調査が入りました。 その結果、島を縮小させているのは「虫」であることが判明したのです。 『虫が侵食 消える?無人島』(日経/07・5・11)
『学校運営地域ぐるみ』(佐賀/07・4・5)
佐賀市県教委が県内ではじめて「コミュニティースクール」に赤松小学校を指定したことを報道する記事です。
人格の完成とは,「個人の価値と尊厳との認識に基づき,人間の具えるあらゆる能力を,できるかぎり,しかも調和的に発展せしめることである」としてヒューマニズムを基調としています。
ヒューマニズムとは,「全体としての個人」の人格を尊重し,その心身の諸能力を内面から自由にかつ調和的に発揮せしめようとすることを正しいとする人間のあり方です。
日本国憲法にのっとて制定された教育基本法は,現在および未来の子どもを教育するための根本原理として確保せられなければなりません。
・世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事を持つことです。
・世の中で一番みじめなことは、人間として教養のないことです。
・世の中で一番寂しいことは、する仕事のないことです。
・世の中で一番醜いことは、他人の生活をうらやむことです。
・世の中で一番偉いことは、人のために奉仕し、決して恩にきせないことです。
・世の中で一番美しいことは、総てのものに愛情を持つことです。
・世の中で一番悲しいことは、嘘をつくことです。
【福沢諭吉】
私の世代は尾崎豊が絶盛期を迎えていたころは知らずに過ごしていました。私たちが高校生の頃、尾崎はその早すぎる一生を閉じています。それでも、尾崎豊の歌はその絶盛期を支えた世代と同じように思春期を迎えたことに聴きははじめ、その尾崎の伝えるメッセージに共感し、深く心を捕らえられていました。そこには、大人でもなく、子どもでもない、その間で揺れ動く思春期の少年/少女の心の揺れを、その揺れが故の怒りや焦燥、あるいは喜びや夢を含めながら、自身のアイデンティティーを確立しようとする姿があったのだと思います。
でも、それもまた時代によって創られた「価値観」を共有できたからこそであったのかもしれません。
『遠ざかる尾崎の叫び』(朝日/07・4・19)
不登校児とは「何らかの心理的・環境的要因によって,普通学校に登校しないか,登校したくともできない状況にある児童生徒」のことを指します。その数は2000年で13万人を超え過去十年の間で右肩上がりに増加しています。
自分の子どもがいじめられているとしたら。親は子どものために何をしてあげることができるでしょうか。そして何をしてあげることが必要なのでしょうか。
いじめに対して親は「無力」なのか。
そんな問いに行動をもって新たな道を示した「親」がいます。
『集団欠席します』(朝日/07・4・5)
どんな学習であっても,それが引き起こされる動機がなくては成立しません。動機は外的・内的にわけることができます。外的動機づけとは外からの刺激,いわゆる賞や罰などが学習の起因となっており,学習の目的が学習そのものより,その誘引の方に向いている場合です。外的動機づけ自体は悪いことではないが,それをきっかけにして次第に子どもの内的興味にまで高めることを忘れてはいけません。また,内発的動機づけとは,学習のプロセスの中に喜びを見出しつつ,促進されている場合で,学習内容に対する興味や関心などをさしています。
それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。
人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるため、青年よ大志を抱け。
【W・S・クラーク】
心が変われば態度が変わる。
態度が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
【蓮沼文三】
疲労とは、身体的または、精神的作業において新鮮味を欠き、一定の能率が時間の経過に伴って次第に低下していく現象といえます。生体内の力源の消耗と補給のバランスが破れ、また代謝作用により、不要な物質が体内に蓄積されてバランスを失うなど生体の異常な状態です。しかし、適度な疲労は、生活体の保持のため自然に起こるものといえます。
身体の健康のために,丈夫な身体に育てることは体育のねらいの一つにしかすぎませ。人は社会に生まれ育つものであり,社会性,協調性を身につけて社会や集団の目的を達成するために貢献しなければならない使命を持っています。そのために,個人が持って生まれた能力を十分に伸ばし,個性を発揮すると共に社会的な態度を身につけ豊かな人間味を培い他人と協調して共通の目的を実現することのできる社会の成員となることをねらいとする。つまり,身体の調和的発達を図るとともにどんな場合にでも適応のできる生活力を養い,社会の福祉のためにその成員として積極的に参加することのできる民主的な生活態度を育成することが体育のその中心の目標ととなっています。
現代体育の特徴は,身体活動は身体的発達の手段として用いられた者の身体のみの教育ではなくして身体活動を通して人間形成を企図する教育であり、そこに体育の意義があるといえます。