●写真展図録「ユージン・スミスの見た日本」
古書店で「ユージン・スミスの見た日本」(東京都写真美術館)を入手しました。
ユージン・スミスといえばアメリカ人の著名な写真家です。特に「楽園への道」という写真は有名で、幼児二人が雑木林から明るい開けた空間に歩み出す瞬間を背後から写したものです。しかし、彼の本領はその写真だけではありません。スペイン市民戦争のときの、寒村の老人、老人の亡骸を見つめる家族の姿の一連のシリーズ写真、そしてアメリカ本土での、田舎の医者の奮闘振り、激務を終え、コーヒーカップを片手に一休みする老医師を撮った写真、シュバイツアー博士の写真、こういった作品の数々で名声は轟いていました。そんな彼の作品に日本との関係のものがあります。
太平洋戦争中のサイパン、沖縄での日米の激戦を撮ったものも有名です。サイパンでの日本人の赤ちゃんを救う米軍兵士の姿、逃げ惑う日本の民間人家族、沖縄の捕虜収容所での日本人の女性と子どもを撮った写真、いずれも見事なものです。沖縄戦での撮影中に彼は、日本軍の迫撃砲で重症を負い、砲弾の破片は体内に残されたままです。戦争後、16年を経て、日本の日立という会社から日立の姿を伝える写真を撮ってくれるよう、依頼が来ます。当初、数ヶ月の予定が3年もずれ込む長期取材となり、その作品は「ライフ」に掲載されました。スミスは撮影する前に、日本に関する資料を読み、撮影前にも、いろんな場所に行き、日本人の生き方を研究しました。出来上がりは日立の意図したものとは違うものでしたが、「ライフ」掲載によって、日立の名は世界に広まったという結果を残したのでした。
そして1970年に再び、日本から依頼が来ました。そのときスミスは日本の漁村を写したと思い、その旨を依頼者に伝えました。その頃日本では公害が顕在化して、問題となってました。スミスは水俣に行き、そこで見たものに衝撃を受けます。そして水俣病に罹った患者を写すようになります。水俣病の原因はチッソという会社が垂れ流す廃液にありました。会社側は患者たちに責任を認めようとはしませんでした。会社と患者側の会議でスミスは会社側から暴力を受け、その傷は障害、彼の体を傷めることになります。そんな中で完成したのが上村さん一家との交流でした。上村さんの母親が水俣病の娘を入浴させている写真を撮ったものが出来上がり、それはスミスの代表作の一つにもなった傑作でした。水俣病を世界に知らしめる役割を果たしたと同時に、親子、母と娘の哀しいまでの絆が描かれていたのです。この写真集にもそれが載っています。
ユージン・スミスという写真家の見た日本はエキゾチックな視点での日本ではなく、現実の日本をとらえていたのです。地味な写真集ですが、ユージン・スミスという存在を知る上で見事な図録といえるでしょう。
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コメント
本来のジャーナリストとは、ユージン・スミスのような人を言うのでしょう。
水俣病がまだ地域の奇病と言われていた時から、
発病者の立場で世界に情報を発信し続けた人・・・それがユージン・スミスです。
『なぜ世界的な写真家でありジャーナリストであるあなたがここまでやるのか?』
すると彼は静かに答えた;
弱者が自分の立場を訴え続けることには大変な困難が伴う
それをサポートするのがジャーナリストの最大の役割だからだ
Posted by: irohanikompeitow | 2008年07月20日 15:52
irohanikompeitowさん
早速のコメントありがとうございました。
私は、ユージン・スミスについてさほど詳しくありませんが、たまたま入手した写真展のカタログを読んで、スミスの人間性や仕事に対する態度を知ることができました。
irohanikompeitowさんのコメントはまさにスミス論の核心をついていました。貴重なコメントありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
Posted by: 編集部T | 2008年07月22日 19:03