●好投手と名コンビの捕手
戦前、戦後の好投手とその捕手についてです。
戦前で有名な沢村栄治、ヴィクトル・スタルヒンの相手を務めたのが吉原正喜でした。名声を得る前に、戦争で亡くなりました。戦後はというとまず別所毅彦があげられるでしょう、その別所が巨人の歴代捕手の中で、もっとも優れた捕手はと聞かれたとき、即座に「広田順だ」と答えました。広田はハワイ出身の2世で、与那嶺要の後、巨人に入団しました。別所の豪球をものともせず、体を張って受け止めた捕手で、別所の信頼あつい選手でした。ついで現れた魔球王杉下茂 のバッテリーの相手を勤めたのが野口明でした。戦前の大投手・野口二郎の弟で野口兄弟としても有名です。打撃の神様と称された川上哲治が述懐した「捕手の とれない球をどうして打てる」と嘆かした魔球フォークボールを受けとめた捕手でした。1954年の日本シリーズでは杉下の大車輪の投球を支えました。別所、杉下ときたら、その名跡をつぐのは金田正一でしょう。1958年、その豪球は捕手の谷田比呂美のマスクにめりこむほどの威力がありました。谷田はその シーズン、ケガで後輩の根来広光と交代します。以後、金田が巨人に移籍するまで、金田・根来コンビで国鉄スワローズの勝利に貢献しました。ノーサインでの キャッチングなど金田との阿吽の呼吸がなければできない芸当でしょう。当初、捕逸など受けそこねが多く、悩みましたが、一度、その技術を習得するや、その リードも素晴らしいものになりました。金田の後となれば、小山正明でしょう、阪神タイガースにあってテスト生からはい上がってきた、絶大なコントロールと 速球を武器にエースに上りつめた投手の相手は山本哲也という捕手でした。今でこそ、投手の球種で内野の守備位置が変わることは珍しくありませんが、昭和 30年代から、球種によるサインで内野は変わりました。だから鉄壁の三遊間といわれた吉田義男・三宅秀史のコンビは長嶋茂雄・広岡達朗が出てくるまでセ・ リーグの看板でした。そんな小山をリードしたのが山本でした。新人の村山実のフォークボールもキャッチしています。そして秋山登でしょう。秋山といえば土 井淳です。明治大学の屈指のエースとしてそのバッテリーを組んだのが土井でした。二人は1956年、同時に太洋ホエールズに入団し、その年、秋山は新人王に なりました。下手投げからの剃刀シュートや速球でセ・リーグのチームを嘆かせる活躍でした。三原脩を迎えた1960年、強打の大毎オリオンズを破って日本 一になりました。その中心投手が秋山でそれを支えたのが土井でした。
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