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2009年04月13日

●続・好投手と名コンビの捕手

昨日、書いた分に追加します。

セ・リーグでは昭和40年代になって、阪神タイガースに江夏豊という速球の大エースがいた時期があります。その捕手をしていたのが田淵幸一でした。江夏と田渕、まさに千両役者の黄金バッテリーでしょうか、江夏の捕手として特筆しなければならないのは、1971年のオールスター戦での9者連続三振奪取でしょう、記録がかかった打者がファールフライを打ったとき、ボールを追う田淵に「追うな」と言ったのに、マスコミの間には「取るな」と伝わりました。それほどの執念があの大記録を達成させたのでしょう。セ・リーグはここまでとして、パ・リーグに目を転じますと、好投手を相手とする捕手は逸材が多くいます。パ・リーグといえば昔は西鉄ライオンズでした。そのエースが稲尾和久です。当初はベテランの日比野武がマスクをかぶり、稲尾をリードしていましたが、稲尾が長ずるにしたがって、バッテリーも捕手の座を和田博実に変わりました。稲尾という稀代の大投手をリードする和田は稲尾という大きな存在に負けることなく、稲尾の治術を高めるリード役を果たしました。そのいい例が1961年の42勝という大記録達成でしょう。近年、20勝もめずらしい勝利数ですが、1シーズン42勝という破天荒な記録をつくった投手の女房役として記憶にとどめねばなりません。西鉄といえば、ライバルは南海ホークスです。1958年、あの稲尾和久を脅かすような投手が南海に入りました、杉浦忠です。下手投げから繰り出す快速球とキレのいいカーブで西鉄の強打者たちも度肝をぬかれ、苦杯を喫することもしばしばでした。翌59年には38勝4敗という信じられない記録を残して、リーグ優勝、日本シリーズ優勝と大活躍した投手でした。その捕手が若き日の野村克也でした。野村は稲尾との対戦でキャッチングに磨きをかけ、パ・リーグのみならず、日本を代表する捕手として成長していきました。杉浦・野村のバッテリーこそ古今を通じて最高のバッテリーといっていいかもしれません。西鉄、南海ほど強くなくても、パ・リーグには強力な投手をもつチームがありました。阪急ブレーブスの梶本隆夫と米田哲也です。この二人の豪速球投手は球威においては稲尾、杉浦以上のものがありましたが、優勝を争そうようなチームでなかったので、前記二人ほど注目をあびませんでした。豪球投手2人の相手をした捕手が最初は伊勢川真澄というベテランでした。その後をついだのが山下健でした。二人は20勝投手として、活躍できたのも、山下の好リードがあったればこそでしょう。

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