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2009年06月28日

●大学出身選手とプロ野球選手

昭和30年代前半まで、プロ野球との実力は?

長嶋茂雄が1958年、巨人に入団して、キャンプインするや、その練習量の少なさと内容の乏しさに驚き、監督であった水原茂に「大丈夫ですか」問うたところ、一喝されたとその自伝に書いてありました。長嶋が在籍した立教大学野球部には砂押邦信というスパルタ教育の監督がいて、立教大学をそれまで、早稲田、慶応の六大学から、立教の時代へとつくりかえた監督でしたが、そのすさまじさに、ついて行けない選手と反発する選手がいて、辞めることになった人でした。その砂押に鍛えられた長嶋の打撃と守備は、文字通りそれまでのプロ野球のスタイルを打破するものでした。長島以前に慶応から高橋ユニオンズという弱小球団に入った佐々木信也は、練習しない選手に愕然としたと本に書いてました。そういう経過でしたから、当時にプロ野球の選手は全員が鍛えられるのではなく、選手の個人的な才能とその選手の練習にまかせていたというのが実情でしょう。かといってプロ野球選手の練習がダメであったかというとそうでもありません。中でも国鉄スワローズのエースである金田正一の練習はすさまじく、オールスターで一緒になった村山実がその練習についていこうとして一緒に走りましたが、それまで自信をもっていた走りこみさえも金田の練習量に圧倒されて、途中でやめたとの述懐もあります。西鉄ライオンズの長距離打者・中西太の寮での素振りの練習も凄かったと同僚の豊田泰光は書いてます。こういった一部の選手の練習量の濃さに比例して、大部分の選手はさほどではなかったのでしょう。

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